いくちゃんといくちゃんへの祈り

  

 

今日は長崎に原爆が投下された日で、1102には黙祷をします。 

 
「原爆」は長崎の子どもにとって拭い去れない「環境」の一部です。 
 
戦争と平和の意味を知る、それもそうですが、それ以前に幼き頃からくり返される平和に関する言葉や集会や見学や被爆者講和は、確実にこれまでの「環境」の一部として私たちの身体に残ってゆきます。

 
意味は紡ぐものですが、存在は具現化しないままでも、常に私たちの中に降り積もってゆきます。 
 
 
 
育子が雪のように深く育ってくれれば良い。 
意味よりも先に、あるものの存在を感じて、知ってほしいな。 
 
 
人は変わっていきますが、やはり命は脈々としています。
 

今年は世界よりも長崎よりも
ずっとずっとちいちゃい家の
一人のお子の心の平和に対して
私は祈りを捧げてみることにする