いくちゃんと繰り返されないリヤカーの旅
我が家族のお盆とは。
大人は半覚醒の変温動物のようにノソノソと居間や寝室を這い回り、
子供はリポビタンDのCMよりもファイティングポーズが整っている。
例に漏れず私は居間のリクライニングチェアをキリキリと鳴らしながら、縁側ではしゃぐ子供たちを眺める。半分のまなこで。
どうやら、納屋からリヤカーを持ってきたみたいだ。
浮き輪をかぶった育子、緑色の台車の上で小さく跳ねる。
「タイヤがひとつしかないよ!
ひとつだから、いちにん乗りなのねー。
そいじゃっ!いくちゃんがパイロット(?)ねー!
海のところまで、運転ね!」
※育子さんや、それは乗っている人が運転する乗り物ではありません。
張り切りリヤカーに育子を乗せて、息子の汐や甥っ子姪っ子は、一直線に海の見える方角へ。
いってらっしゃい。
子供にしか訪れない、繰り返されない温度と景色のなかへ。
今の私が見るものは。
うごかない雲。
完璧なる夏の空。
カラフルな子供たち。
ずっと遠くに浮かぶ、九十九島の大人しさ。
耳元を通り過ぎていくNHKのニュース。
今の私は、時空に散らばった「あの頃」の繰り返しなのだろうか。
「あの頃」の私は、カラフルな子供だったかもしれないし、また別のときにはニュースの前にいただろうし、ひょっとしたら九十九島のそばで、クロダイをつっていたかもしれない。
私はそんな自分自身をかき集めて、画面焼けした過去の裏側にある「今」とか「現在」といったものを眺めているのかもしれない。
同じ写真を、何度も何度も焼き増しているような心地がするのだ。
何度目かに変わってしまうことを願いながら。
あるいは変わってしまうことを、恐れながら。
今もちゃんと、「できごと」はやってきて、私にコンニチワをしてくれているだろうか?
目が目として、耳が耳として、触れることのできる全てを、ありのままに受け入れて。
そうしているうちに私のまなこも、意識もだんだん閉じていく。
「はい!
まっすぐだけどね、スピードはゆっくり行くのです!
ガソリンは、はい、満タンデース!
はい、いくちゃんより小さい荷物はおいで!
今日はね、10じ半ごろになりますからね!
みんなでついてきてください!
『ひとつぶ、300メートー』!
いってきまーす・・・・」