いくちゃんと人間のせかい
ときどき、これは娘から遠ざけたいなー、とおもうような場面とか、状況とかがある。
主に社会的なこと。人間の世界だけの辻褄だったり、ちょっと「にごり」の感じられること。
昨日、わざわざ自宅まで来て仕事を持ちかけてきた人は、最後にこういった。
「大丈夫、いいんですよ。これが売れれば。売れるために作る、それがあなたの仕事なんだから」
大手広告代理店で何十年も勤めて、定年してカフェを開いた人がいる。
いつも明るいその人は、ちょっと真面目な顔をして、広告業界は、悪だと言った。
世の中がある程度見えてきた私は、一概にそうでもない部分もある、と思うようになった。
少なくとも、作り手としての楽しみは存在する。
それは人間を知る、自分自身を知る、といった欲求にも通じるもの。
だけど、「売れれば」といったような、結果を目的とした言葉を用いると、やはりそのおもしろさも曇ってしまう。
「だいじょうぶ」「いいんですよ」は、少なくとも自宅では、そういう使い方はしない。
「うれればー?
『うれれば』って、木綿子(ゆうこ)ちゃんの持ってる『うくれれ』みたいね。
二文字、れ、れ、って続くの。
みねぱぱ、パパ、ニモモ、いくくく・・」
ソファからぴょこりと顔をだし、育子は屈託なく笑ってる。
人間のすむこの世界は、決してすべてが澄んではいない。
だからこそ、親がいて、あるいは子がいて、友人がいて、愛する人が存在する。
育ってほしい。
いつかこの世界の意味を考えて、それを見失いそうになったときにも。
この子の両目のガラス玉が、いつでも星の光に癒されるように。