いくちゃんとけいこちゃんへの推薦文(reprise)
けいこちゃんのこと考えてって、パパの指令です。
どーしてかってゆうとね、けいこちゃん、今度「めんせつ」っていうの。するんだってさー。
はじめてちゃんの人と会ってね、こんにちは言って、けいこちゃんはいいこよって思ってくれたらオッケーなの。
でもね、けいこちゃんいいこよ。いくちゃん知ってるよ。
お歌さまだって好きだしね、言葉をバラバラにしたりしないもん。
いいこよーって、いくちゃんに言ってくれるから、けいこちゃんにもいいこよーって伝えるの。
おんぷになるの。ぜんぶ。
よるとか、ひるとかね、名前で呼んであげるでしょ?
けいこちゃんってはじめにちゃーんと、名前のこと分かってるからね、
名前がよろこぶおんぷのこともわかってるの。
どみそを書くだけがおんぷじゃないの。それだけじゃお歌さま足りないの。
とくに、いいこよって、言いたいときはね。
けいこちゃんのはじっこのほうと、はじめてちゃんのひとのはじっこのほうをね、おそろいにしちゃえばいいとおもうんだ。
いくこ、けいこちゃんにはじめてあったときにおそろいにしてもらったからね、すぐにいいこだって分かったもん!
分かったもんねーー。
いくちゃんと好きや好きやのたぬたんたん
にいがたはね、東京よりも上っぽのほうにあるよ。長崎よりは、ずーっとうえ!
きのことかね、ホーの葉っぱとか、はじめてちゃんもたーくさんあるよ。
ぬるぬるきのこの近くにはね、たぬたんのウンチがあるんだって!目ーめよくないと、気づかないね。
ぬるぬるきのこ、ぬめぬめだからね、いくこ、いやだな、食べんのやめよっかなー、て思った。
けどセンセーがね、言ってた。
「イヤだーからはイヤだーしか出てこうへんで。好きやーから、好きやーが出てくるんや。
『トンビがタカを産む』、て言葉、育子、お前知ってるか。あれはちょっと違うんやで。
トンビの子はトンビになったらそれでええんや。カエルの子はおたまじゃくしやけど、やっぱりカエルになる。
せやけどまあ、トンビが、タカを育てる、ゆーことはあるわな。
産みよりも、育ち、が大事っちゅーことや。
人の中身がトンビでもタカでもどっちでもええ。せやから育子、好きやー好きやーゆうて、それをお前が育てるんやで。あんさんの名前にも書いてあるやろ」
よくわかんないの。
でもね、きのこ好きやーって思ったらね、ぬるぬるでも好きやーってなってね、センセーんち行くの好きやーってなってね、上っぽのにいがた好きやーってなるの。
いくこのはじめてちゃん、みんなみんな全然いい子になるよ!
さて!
センセーより先に、たぬたんのウンチ見つけまーす!いくちゃんがタイチョーでーす!
♪すきすきすきやね やねのうえ
すべってころころたぬたんたん
うっかりはくしょんどろんどろん
ばーけーたーばーけーたーよー
じーぶーんーのー・・・ウンチ!
すべってころころたぬたぬたんね
おかげでキノコがめっかった!
タイチョーぬるぬるめっけった!
<育子・トイピアノ作曲集15>
いくちゃんと巣鴨の女王
「センセー!このデカデカちゃんの葉っぱはー?」
「これは、ホオの葉っぱや」
「ほ、おー?ほ?」
先生が育子に、大きな葉っぱをモギって渡す。
「そうや。昔はこれに、おにぎり包んでチューハン(先生は昼ご飯のことを、チューハンという)にしよったんや」
「へー。そーなんですか。そーなんですねえ。」
普段大人相手にもへっちゃらワードばかり使うのに、先生の前ではなぜか丁寧語の5歳児。
「あとな、この紫のキノコはめちゃうまやで。ぬるっとしてるけども」
ビニール袋に沢山入ったぬめぬめのキノコ。
そして、相当にむらさき色。
なんだか巣鴨の女王様みたいな・・・
「うぇ〜、ぬるぬるです〜。センセー、ぬるぬる〜」
育子はうまくキノコが掴めず手がベタベタ。
私もぬめりに飲み込まれないように、さっとキノコをひとつほおばる。
なんと。
う、うまーい。
何のキノコかも分からないのに、うまーい。
育子は、どおしておいしいのー?ねえ、ぬめぬめなんだよー?とまだ警戒しながら食べない。
先生はしたり顔。
「なんのこっちゃ分からんもんは、都会のほうがぎょうさんあるやろ。
あまりにもようけあるもんやから、麻痺してしまっとるんや」
おっしゃるとおりでございます。
物事を見定める暇のない生活。
その状態を健全だと、勘違いしてすごしてしまいがち。
「いくこも食べてみる!ねー、センセ、とって!食べます!」
さあまだヨチヨチ歩きの育子さんの舌、この味を気に入るでしょうか。
娘の黒い瞳の中から、巣鴨の女王の笑い声が聞こえるような気がした。
いくちゃんと旅先のチグリス
新潟に住んでいる、考古学者のN教授の家に行く。
育子と二人、おひたしうりの小旅行モードです。
先生は「歴史学は嘘っぱちやで」と私に教えてくれた人。
それは同時に歴史というものがイマジネーションによって作られる、想像力の学問であること(そしてそれは時に面白いもんだということ)も意味していた。
先生は歴史自体には懐疑的だったが、歴史に登場する「名前」は好きだった。
二匹の黒い犬白い犬の名前は「チグリス」と「ユーフラテス」だった。
「ほーら!おいで!チグリス!
あー!いくちゃんのポーチ、べろべろしちゃダメだよ〜
あー!この服もダメだよ、あー!」
猛獣使い見習いの育子、どうやら家のネコちゃんたちみたいにはいかないみたいだ。
さて今日からしばし、お世話になります。
いくちゃんとegg or rooster
誰かが寝坊したとき。
我が家の伝統的な起こし方がある。
私が子どもの頃は、父親が私に対して行っていた。
それは「にわとりとたまご」という目覚まし技。
寝ている人間をたまごに見立てて、布団の上にのっかって、鳴き出す。
こけーこっこっこっこ、こけーっ・・・
そしてしばらくスヌーズしたあとに・・
ぽんっ!!
何故に音がぽんっ!なのかは謎だが、要するにたまごがひよこになるように、あなたも目覚めるときですよ・・というような意味だと思う。
たずねたこともないから、詳しくは先代の父親のみぞ知ることである。
さてこの日はニワトリ屋三代目育子によって起こされた。
「こけーっ!こここここ・・、こけーっ!
私よりずいぶん小さなめん鳥・育子のお世話で、しぶしぶ孵化を始める休日の朝8時。
生みの親の私が、育てられた子により生み出される朝だ。
はてこの場合、にわとりが先か、たまごが先なのか。
いくちゃんとフレディハズカムアットマイホーム
最近の我が家の爆笑ごと。
それは、育子があのクイーンの名曲、「I Was Born To Love You」のライブプロモに合わせて、フレディのように踊ること。
フレディと画面の隣でダブっている娘が、妙につぼ。
あまりに面白いから、白いフレディコスチュームを作って、年末の大忘年会で披露する予定。
けばけばしい女の人たちにもみくちゃにされながら、「ろんりろんりろんりろんりー!」と叫ぶとこの模写が、もうたまらん。
いったい5歳の人生に、なにがあったんだよう。父は知らないよう。
そういえば、ラジオでこの曲を聞きながら、年明けを迎えたときもあった。
初日の出、六甲山で。おあつらえすぎて、なんか可笑しくてみんなで笑った。
そのイメージがあるせいか、いつでもこの曲は、光ってるイメージだ。
ピカピカのフレディ育子が見たい方は、ぜひしまんと親分主催、大忘年会に足をお運びください。
チケットはうどーおんがくじむしょまで(うそよ)。
いくちゃんと黄色いおやぶん
育子を連れて、近所の大学を散歩。
大学には大きな並木道があって、背の高いイチョウが葉っぱをたえず散らしていて、秋のこの並木道は、ほんとうにきれいだ。
娘がいると、助けられることがたくさんある。
それは私が、子どものようにはしゃいでても、あやしまれないこと・・
もとい。
全力で遊べること。
思いっきり遊ぶということは、子どもでも大人でもかんけいなく楽しいもの。
イチョウの葉っぱのかたまりを投げつけ合うだけで、こんなにも気分が晴れ晴れするってこと、普段の生活ではうっかり忘れてしまう。
「パパー!!!!!
黄色のおやぶん、どこにいるのっ!
たいへんだよ、いくちゃんちも黄色くなっては。
たいへんだよ!タイジしなくちゃ!
・・・はっ。
パパが・・パパが・・
ひょっとしてー!おやぶんなのー!!!?」
そうですよ。がおー。黄色いおやぶん、がおー。
全ポケットにイチョウを詰め込んだアホくさい大人、ちょっと危ない表情で子どもを追いつめる。
・・・はっ。
これでは結局、あやしまれるんだろうか。